比べるとは?/ キャシング比較
[ 1] ITmedia +D Games:「ICO」同様、既存のゲームと比べることがナンセンス (1/3)
[引用サイト] http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0511/07/news074.html
|
世界が待ち望んだ「ICO」制作チームの新作「ワンダと巨像」。その内容はワンダを操作し、巨像を倒すというシンプルながら力強いもの。スタートボタンを押すと、その先には美しいフィールドが広がっていた。 2001年に発売された「ICO」は、それまでのゲームの常識を打ち破ったタイトルだった。主人公はいけにえとして霧の城に連れてこられた角が生えた少年イコ。同じく城に囚われていた少女ヨルダと手を取り合って、複雑に入り組んだ城の出口を目指す。 登場人物は限りなく少なく、主人公のイコと謎めいた少女ヨルダ、そして城の女王の3人程度で物語は展開する。状況を説明する文章や無駄な会話は排され、RPGやアドベンチャーにありがちなコレクション要素やミニゲームもない、極限まで削ぎ落とされたスタイルが斬新だった。 シンプルゆえに、ICOの世界はプレーヤーを強くひきつける。この城はどうしてできたのか、イコにはなぜ角が生えているのか……。想像の翼は限りなく広がっていく。さらに、絵になるビジュアルも特徴のひとつだ。巨大な城とちっぽけなイコ、白い少女と黒い影の対比。ムービーだけでなく、プレーヤーが操作するゲームの一瞬一瞬でさえも、ハッとするほど美しい。 結果として、ICOはライトユーザーも巻き込んで、口コミでロングセラーになったのはご存じの通り。国内のみならず海外でも各種の賞を受賞し、世界中で高い評価を受けた。 本作の主人公はイコではなく、タイトルにもあるようにワンダ。世界観はある程度重なっているようにも映るが、物語そのものは直接的な続編ではない。本作のメインは巨像との対決。巨像と小さな人間である青年の対比が目を引く。そしてやはり無駄な演出は省かれ、こちらの想像力を強くかき立てる作りとなっている。 あれだけカリスマ的な人気を得たICOだから、ゲーム内容や主人公を変えずにそのまま続編を作るという手もあったのかもしれない。しかし、安易にそうしなかった作り手の、本作にかける思い入れが伝わってくる。もはやゲームと呼ぶよりは、アーティスティックな“作品”と呼ぶのにふさわしいと言えるだろう。 ワンダは「いにしえの剣」を携えて、死者が蘇るという伝承が残るこの地へ来た。足を踏み入れることは禁じられているようだが…… ガンホーが準備を進めている新コンテンツの1つ、本格的オンライン対戦格闘ゲーム「覇拳伝」のクローズドβテストが終了した。そこに現れたのは“本格派”の看板に象徴される、対戦格闘ゲーム黎明期の“強い奴に会いに行く”的な一種独特の空気だった。 人を従わせる能力“ギアス”を用いて敵と戦うロボットアニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ」が、アドベンチャーゲームとなってPS2とPSPの2機種で登場。ゲームオリジナルの主人公になりきって、「コードギアス」の世界をたっぷり楽しんでみました。 「ラグナロクオンライン」新アップデート先行体験リポート:「名もなき島」のキケンな夜を堪能してきました 海外初のちょっと変わったアクション・シューター「バイオショック」が、Xbox 360で登場。主人公になりきって、怖いヤツらがウヨウヨしている海底都市でアレコレ探索してみました。 かつてゲームセンターで一時代を築いたレースゲーム「セガラリーチャンピオンシップ」。シリーズ最新作は、次世代機ならではの映像と悪路をねじ伏せるドライビングの快感がたっぷり詰まっていました。 前回のグダグダな10番勝負(未遂)をわびたいと、喜屋武さんが接待をしてくれました。ってこれ、単なるあなたの趣味ですよね? Xbox 360を代表するソフトに成長した「アイドルマスター」の新作がついに登場。より手軽にライブをコーディネートでき、ついでにリズムゲームも楽しめる。何はともあれ、さっそく遊んでみました。 少し遅れた冒険者がお届けするヴァナ・ディール奮闘記。今回は僕の中では物語の大きなひと区切りであるミッションと、限界突破クエストの話を紹介。最近は日々一歩ずつ前進しているのが自分でも実感できて、楽しくプレイできています。 「信長の野望・革新withパワーアップキット」レビュー:焦るべからず。じっくり腰を落ち着けて戦国乱世に挑め 史実にこだわるか。思い切りイマジネーションの翼を広げてみるか。バリエーションは無限、あの手この手で戦国の争乱を満喫してみよう。いかなるアプローチを取るにしろ、そこにあるのは歴史ifの醍醐味。無数の武将たちが紡ぐ筋書きのないドラマはつねに新鮮で面白い。 「ソーマブリンガー」は気軽に遊べるアクションRPG。7人×6クラスから自分の分身を選び、多彩な武器を装備し、バラエティに富んだアビリティを自由につけはずしできるカスタマイズが楽しい。プレイはサクサク、やり込みもバッチリ。魅力的な主人公たちが「ソーマ」を巡って壮大な冒険に旅立つ。3人によるマルチプレイも楽しい良作RPGだ。 |
[ 2] エロゲを小説と比べるな。 - Something Orange
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/kaien/20071203/p4
|
この場合のエロゲとは、いわゆるノベルゲーム(画面全体に文章が表示されるゲーム)を含むアドベンチャーゲーム一般を指す。 ネットには、エロゲの文章部分を抜き出し、良いの悪いの上手いの下手だのと語るひとが少なくない。しかし、ぼくなどはそれ全部まとめて無意味じゃね、と思ってしまう。 あたりまえのことだけれど、エロゲは小説ではない。だから、小説を評価する基準で評価することは出来ない。 もちろん、エロゲの文章にも、エロゲの文章なりの巧拙はあるだろう。しかし、その基準は小説の基準と同一ではあり得ない。 エロゲの文章は、あくまでも映像や音楽、またゲーム要素によって補完されることを前提としたものだからである。漫画から台詞だけを抜き出して巧拙を語ることが無意味であるように、エロゲから文章だけを抜き出して良し悪しを問うことも無意味だ。 エロゲの文章は、あくまで、その作品のなかでほかの要素と合わさったときどのような効果をあげているか、その一点で評価されなければならない。 もし、「絵や音楽がなくても意味が通じる文章」だけが良い文章だと考えられているのなら、それはやはり、文学コンプレックスでしかないと思う。 もちろん、小説の文章は、少数の例外はあるにしても、それ単体で完結することを目指す。挿絵で補完されなければ意味が通じないような文章は、「小説では」良い文章とはいえない。 瀬戸口さんの文章は、小説的な意味で、非常に完成度が高い。たぶん、いくらか修正を加えれば、そのまま小説として通用してしまうだろう。 しかし、こういう文章こそが、エロゲにとって唯一の正しい文章なのかといえば、そうでもないと思うんだよね。 『らくえん』の文章は、文章だけで完結することを目指していない。あくまで映像があり、そして音声があって初めて完結する文章なのである。 逆にいえば、瀬戸口廉也のような才能は、こうしたシステムでは発揮しきれないかもしれない。文章がシステムを要求するのか、システムが文章を規定するのか、たぶん、その両方だろう。 『らくえん』では、台詞をあっさりと「〜(略)」と表現してしまい、文章上で台詞が終わったあとも音声ではしゃべり続けるという演出が用いられている。 このような演出は、もちろん、小説では不可能なものであり、エロゲと小説の文章を同列において優劣を争っても意味がないことが改めてわかる。 エロゲは文学にはなり得ないが、別に文学より劣るわけではない。単に異なるジャンルの表現であるに過ぎない。 戯曲よりもシナリオと言うべき。もっと戯曲を研鑚してから文章を書きましょう。シェークスピアでも論じてみろ。アホ。 そんなところに噛みつかれてもなあ。ゲームのシナリオだって映画のシナリオだってシナリオなんだから、この場合、ただシナリオとだけ書いてもわかりづらいと思いますが。 地の文よりも会話文が上手いかどうかのほうが気になります。二言三言ですむような場面で冗長なセリフや説明とかが出てくると萎えます。主に日常のシーンで。 「戯曲」と「シナリオ・脚本」といったものを区別する意味はないと思いますね。日本語の定義論でしかない気がします。「最初から上演を想定していない戯曲」というものも存在するので、「文章だけで完結することを目指していないもの」の例として「戯曲」を出したことに反論したかったのかもしれませんが、その場合はシェークスピアを例に出した意味がわかりません。シェークスピアのものはすべて上演を前提とした作品ですから。 失礼します。大学で芝居の戯曲専攻のものです。確かに上のコメントは煽り交じりで不快なものですが、あなたが「エロゲを小説と比べるな」といっておられるように、詳しい分野だと一緒にされることを嫌うものがいます。私も戯曲と脚本は明白に分けられるものであると思っていて、もちろんその定義も自分なりのものがあります。こんなところにかみついて申し訳ありません。ただ、本文の題名とコメントが若干矛盾していたようでしたので、コメントさせていただきました。では。 丁寧なご意見ありがとうございます。「シェイクスピアでも論じてみろ、アホ」とかじゃなくこういう書き方をしてくれればぼくも対応のしようがあるのですけどね。 さて、「戯曲と脚本は明確に分けられる」とのことですが、「戯曲」とは、Yahoo辞書では、「演劇の脚本・台本。人物の会話や独白、ト書きなどを通じて物語を展開する。また、そのような形式で書かれた文学作品。ドラマ。」 とされ、goo辞書では、「劇の上演のために書かれた脚本。また、その形式で書かれた文学作品。台詞(せりふ)に、人物の動作や舞台効果など、演出に関する注意(ト書き)を加えたもの。日本・外国ともに、その形式が確立したのは近代以後であるが、謡曲、あるいは浄瑠璃の丸本(まるほん)や歌舞伎の台帳などもその一種であるといえる。」 とされています。「戯曲」は「脚本」の一種、という定義ですね。 もちろん、専門の方から見れば、不適切な定義なのでしょう。しかし、ぼくが「戯曲」に対し抱いていたイメージもこの程度のものでした。おそらく一般的な認識もそのレベルだと思います。 だから問題ないということにはなりませんが、この記事を書いたときは他に適切な表現を思いつかなかったのです。「以後注意します」ということでお許しいただきたいところです。 文章に頼る度合いを比べると小説>ラノベ>CARNIVALや痕形式のエロゲ>らくえんなど今メジャーな形式のエロゲですよね。ラノベでさえ、挿絵のあるシーン・キャラでは描写量やテンポが変わるはずですから、まして常に挿絵があってBGMや声まであるエロゲでは、通常の小説の文章と比べようがないですよね。今日の読売新聞でも、『縦書きでは気にならない「スニーカー」という言葉も、横書きにすると横棒が多くて平板に見えないか気になりだす』といったことが書いてありました。個人的には、感動などで泣かせる訴求力も、涙を流しているキャラの絵と声とBGMがあるだけで、だいぶ強くなる、それがギャルゲーの「泣き」における優位性を作っている、と思うのですが、どうおもいますか? すいません、どうでもいいところにつっこんでしまいまして・・・本文自体には賛成です。というか、総合芸術ってそういうものですからね。ノベルゲーしかり、その他のゲームしかり、一分野ごとの見事な化学反応によって効果を何倍も高めるのがこの分野の最大の利点なのですから。その点が、絵画、小説などの個人芸術との明白な差なわけです。むろん個人芸術には個人芸術なりの利点があるわけですが。個人芸術と総合芸術を同等に語るのは、いついかなる時も間違っているのでしょう。 いまならDL販売で格安入手可能! わが最愛のゲーム。表紙イラストの印象に反し、楽しくも切ない名作です。↑の画像をクリックすると記事へ飛びます。 SF史上屈指の傑作! どんな場所にも移動できる能力ジョウントが世界を変えた時代を舞台に、一人の男の絢爛たる復讐劇を描く。★★★★★級の作品。 「美姫を守って単機敵中翔破、1万2千キロ。やれるかね?」。美しい姫君と孤独な飛空士の身分違いの恋。各書評サイトで話題沸騰中の快作です。 いま、中国では日本製のアニメとマンガが猛烈なブームとなっている。その実態を精密に調査し、現代中国における反日感情の実像に迫った驚愕のドキュメンタリー。 海賊船に売られ、奴隷として数年を過ごしたあと帰ってきた男。故郷でかれを待ち受けていたものは国姫の家庭教師という仕事と陰謀の暗雲だった。荘重な本格ファンタジィ! |
キャシング比較のサイトです。